映画『オッペンハイマー』とナショナリズムのマグマ 山田風太郎著『同日同刻』を読む【緒形圭子】
「視点が変わる読書」第12回 ナショナリズムのマグマ 『同日同刻』山田風太郎
◾️人間のナショナリズムをかき立てる状況とは
1941年7月日本は南部仏印に進駐した。これを重大な侵略行為と捉えたアメリカは日本に対する石油の輸出を禁止した。石油を止められたら、日本は陸軍も海軍も動けなくなり、万事休すである。打開の道を探りアメリカとの交渉が行われたが、中国、インドシナからの全面撤退や日独伊三国同盟の否認などが盛り込まれたハル・ノートを突きつけられ、これを最後通牒と受け取った日本は同年12月8日、ハワイのパールハーバーを奇襲攻撃した。
当時アメリカと日本の国力は隔絶していた。恐らく天皇も政府も軍も、アメリカと戦って勝ち目があるとは思っていなかっただろう。にもかかわらず、日本はアメリカと戦争を始めた。
戦争には、「にもかかわらず」が多い。平時であれば、考えられない判断が次々に下され、戦況は想像しない方向へと拡大していく。
その原因の一つに、ナショナリズムがある。
国と国が戦い、いずれかの国が勝ち、いずれかの国が負ける。これほど人間のナショナリズムをかき立てる状況はない。
野球やサッカーやラグビーのワールドカップを見ても分かるだろう。熱狂した観衆は時に暴徒と化し、敵チームのサポーターを殺傷することもある。
『同日同刻』は、真珠湾攻撃の報に接した日本人のナショナリズムの噴出をとらえている。
「帝国陸海軍は、本日未明、西太平洋に於て米英軍と戦闘状態に入れり」
12月8日、臨時ニュースが流され、終日、国民はこの声を軍艦マーチとともに聞くことになった。
当時34歳の『麦と兵隊』の作者火野葦平はこう書く。
「私はラジオの前で、或る幻想に囚われた。これは誇張でも何でもない。神々が東亜の空へ進軍してゆく姿がまざまざと頭のなかに浮んで来た。その足音が聞こえる思いであった。新しい神話の創造が始まった」
木戸幸一内相の当日の日記にはこうある。
「七時半、首相と両総長に面会、布哇奇襲大成功の吉報を耳にし、神助の有難さをつくづく感じたり」
当時旧制広島高校の一年生であった林勉は書いている。
「その朝の授業は、鬼のあだ名で文科生に最も畏怖された雑賀教授の英語だった。廊下のマイクが臨時ニュースを伝えると、教授は廊下に飛び出して、頓狂な声で、〝万歳〟を叫んだ」
この広島高校の雑賀忠義教授こそ、戦後広島の原爆慰霊碑の「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」の文句を書いた人である。
これ以外にも『同日同刻』には太平洋戦争開戦の日、感動し、興奮した日本人、とくに作家たちの言葉が数多く載せられている。
「予は筆を投じて、勇躍三百。積年の溜飲始めて下るを覚えた。皇国に幸運あれ。皇国に幸運あれ」(徳富蘇峰)
「世界は一新された。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである。現在そのものは高められ確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなった」(高村光太郎)
「言葉のいらない時代が来た。必要ならば、僕の命も捧げなければならぬ。一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ」(坂口安吾)
「私は急激な感動の中で、妙に静かに、ああこれでいい、これで大丈夫だ、もう決まったのだ、と安堵の念の湧くのをも覚えた」(伊藤整)
こうした日本人と集会所で足を踏み鳴らしたアメリカ人の何処に違いがあるというのだろう。
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